北海道有数の観光地であり、豊かな自然と名湯に彩られる登別市。現在、この町には温泉街のホテルや基幹産業を支える外国人住民も多く、多様な文化が共生する場となっています。
そんな登別で、国際交流プロジェクトマネージャー(地域おこし協力隊採用枠)として活躍するのが、中国出身の蒋静文(しょう・せいぶん)さんです。大阪と夕張での生活を経て登別へとやってきた蒋さんは、三ヶ国語を駆使して中学生の海外派遣や多文化共生サロンの運営、外国人の生活支援窓口など、幅広い業務を担っています。
限られた任期の中で蒋さんが全力で取り組む国際交流について、その思いと業務内容を伺いました。
中国から大阪、夕張を経て登別へ
――蒋さんは中国のご出身とのことですが、登別市で国際交流プロジェクトマネージャーに就くまで、どのような道を辿ってこられたのですか。
まず、外国で暮らして異文化を体験したいと思って、留学することを決めました。日本を選んだのは、中国に近いし、天気も文化もそこまで大きな違いはないと思ったからです。
最初は大阪の日本語学校に2年間通って、その後大阪で就職したのですが、コロナ禍になってしまいました。なので、都会を離れて北海道の夕張市で地域おこし協力隊になりました。
夕張市では観光促進の仕事をしていたんですが、繁忙期でない時は、中国語会話教室や中華料理体験を開催していました。中国以外の国から来た方々と協力して、各国の文化と料理を紹介する国際交流イベントも行ったことがあります。
中国語会話教室は、最初の頃は上手に行えていなかったのですが、地域住民の皆さんがとても優しく見守ってくれて、ホームパーティーに招いてくれることもありました。人間愛を感じてとても感動しました。そこから、自分は国際交流が好きだと思うようになりました。
そういった経緯があって、夕張市の地域おこし協力隊を卒業した後に登別市の国際交流プロジェクトマネージャーに就きました。

多彩な業務内容
――夕張市でとても良い経験をされたんですね。登別市でも地域おこし協力隊に就任され、今度は国際交流プロジェクトマネージャーという肩書きですが、登別市には外国から来た方も多く住んでいらっしゃるんですか。
2025年11月の時点で、在留外国人は500人ほどいて、登別市の人口は約4万3千人です。国籍は、ミャンマー、ベトナム、インドネシア、中国、韓国の順に多く、仕事は技能実習や特定技能に就いている人が多いです。温泉街のホテルやレストラン、介護、工場などで働く人が主です。
――アジアから来ている人が多いんですね。蒋さんはお仕事として具体的にどのようなことをされているんですか。
仕事としては三つの大きなくくりがあります。
一つ目は、登別市で30年以上続いている「デンマーク中学生派遣交流事業」に関する活動です。登別市の友好都市がデンマークにあって、そこに短期留学という形で毎年中学生を派遣しているんです。
私は派遣前の事前研修として、英語研修や現地で行うプレゼンテーションのサポートを行い、帰国後は市内で開く報告会のサポートなどを行っています。これはとてもやりがいがある仕事だと思います。どうやって教えたら中学生達がわかりやすいか、色々と考えました。最初から最後まで生徒達の成長した姿を見守って、自分も少し成長したと感じます。

――多感な中学生の時に外国に行くと、とても刺激になりそうですね。蒋さんご自身が中国のご出身で、日本という外国に暮らしていらっしゃるから、外国に行って未知の物事に触れる良さはよくご存知なのでしょうね。
そうですね、みんな視野が広がったと思います。30年以上続いている事業なので、両親や兄弟姉妹も参加したという生徒も多いですね。家族丸ごとに対して影響力のある事業なのだと思います。
仕事の二つ目は、多文化共生です。
国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的な違いを認め合い、尊重し合い、対等な関係を築きながら、地域社会の一員として共に生きていけるようにサポートします。この多文化共生の活動も大きく三つに分けています。
まず、多文化共生サロン「しょう会話」です。日本人と外国人のコミュニティ形成とお互いの文化理解を目的として、2024年5月から月に1回程開催しています。2025年の11月で20回目になりました。サロンには日本人と外国人に来てもらって、外国人の日本における生活の悩み相談や、日本と外国の文化の共有、フリートークなどを行っています。サロンではやさしい日本語を使って話し合い、外国人が日本のルールと文化を受け入れ、日本人も外国の考えを受け入れられることを目指しています。

次に、多文化共生に関する中学生海外派遣事業です。デンマークの事業と似ていますが、日本での事前研修後に中学生達を海外派遣して、帰国後に事後研修と学習発表会を行います。この事業のポイントは、海外の原住民族の歴史や現状に関する文化を学び、登別市の原住民族であるアイヌ民族の文化継承、発展、社会づくりを目的としていることです。2025年の1月に、私は引率者の一員としてサイパン島への中学生派遣に同行して、帰国報告会や研修報告書の作成にも関わりました。2026年の1月は台湾の原住民族に関する学習を行う予定で、私は事前・事後研修のサポートをします。
最後に、市内の各団体と連携した事業です。2025年の6月は地元のロータリークラブとライオンズクラブと連携した国際交流会、12月からは町内会と連携して日本語教育に関する講座を行っています。

仕事の三つ目は、外国人ワンストップ窓口の多言語対応です。登別市内在住の外国人に対して生活や市役所の手続きを支援するために窓口を設置しているのですが、私はそこで日本語・英語・中国語を通訳して手続きを進めながら、日本での生活に役立つ情報を提供しています。
――仕事が多岐に渡っていますね。言語も三つ使いこなせて、蒋さんがとても優秀な方だということがわかりました。
ありがとうございます。恥ずかしいです。
――蒋さんが独自に開いている「しょう会話」に参加する外国人の皆さんは、どんな相談事を持って来るのでしょうか。
例えば、「住んでいる地区に買い物場所がないので何か良い方法はないか」とか、「公共施設の利用方法がわからない」といった相談があります。
登別市は広いので、しょう会話は三つの地区をローテーションして開催していて、どの地区でもリピーターがついています。参加してくださる地元住民の皆さんはとても優しくて、「しょう会話のために何かできることはない?」と気にしてくれますし、実際にしょう会話の中でも積極的に発言や提案をしてくれます。おかげで、いつも明るい雰囲気で開催できています。
住みやすい登別で全力投球

――蒋さんは大阪と夕張に住んだ後に登別に来られたということですが、登別の特徴は感じますか。
登別は、人口や町の規模という点で大阪と夕張の中間というイメージです。
私は大阪では中心部に住んでいて、周りに外国人も多かったんです。ブランド品販売のお店で働いていたんですが、仕事内容も外国人対応がメインでしたし、大阪には中国人の友達もいました。地元の人々とはあまり関わりがなかったので、日常的に日本語を喋る機会があまりありませんでした。
ところが、夕張に地域おこし協力隊として就任したら、住んでいる外国人は10人を超えるかどうかという環境でした。なので、大阪から夕張に移って、一気にピュアな日本社会に入ることになりました。夕張では、外国人と接した経験のない地元の方が多かったんですが、逆に私に関心を持ってくれて、本当のおばあさん、お姉さんみたいにすごく細かいことをケアしてくれました。

登別には人口が4万人以上いますし、夕張(人口約5800人)のように外国人が特別な関心を集める様子はないものの、地元の方々は優しくて、柔らかい雰囲気で外国人の生活を尊重してくれています。また、年齢関係なく英語の勉強に興味を持っている方が多いです。私よりも長く英語の勉強をつづけている大人の方もいらっしゃいます。
――蒋さんとしては登別市は暮らしやすいですか。
はい、仕事内容も自分の興味のあることですし、町内会の方とは良い関係ができていて、いつも町内会の方のおうちで晩御飯を一緒に食べさせてもらっています。
プライベートでもイベントに参加するのが大好きなので、市内のあちこちに顔を出しています。
――登別で暮らし始めてまだ2年も経っていないのに、とても地域に馴染んでいらっしゃるようですね。今後の展望などはありますか。
協力隊は最長で3年間までという期限があって、私の場合は2027年の4月までなんですが、それは私のビザも期限切れになることを意味します。この仕事は好きですが、協力隊が終わった後も続けられる保証はありません。なので、ゆっくりと時間をかけてトライ&エラーをする余裕はないんです。今携わっている事業を、全力でできるところまでやりたいという気持ちが強いですね。
――前向きに働いて生活していらっしゃる蒋さんのことは、地域に住んでいる外国人の方々も頼りにしていると思います。ありがとうございました。
