茨城県八千代町地域おこし協力隊・ズオン チャム アインさん:人に恵まれ続けながら日本で暮らす

 茨城県結城郡八千代町は、全人口の約1割にあたる2,000人以上の外国籍住民が暮らす、県内でも外国人比率が高い自治体です。この町では2025年4月から初めての外国籍地域おこし協力隊として、ベトナム出身のズオン チャム アインさんが働いています。
 チャムさんが八千代町へ至った経緯や具体的な業務内容に加え、日本での生活のエピソードやそこから感じることなどについてお話を伺いました。

目次

偶然の出会いから八千代町へ

――八千代町の地域おこし協力隊に就任するまでの過程を教えていただけますか。

 2012年に来日して東京にある日本語学校に入り、大学と修士課程まで東京周辺で過ごしました。
 ベトナムの実家が農家なので、元々農業に興味を持っています。修士課程の時代に、「博士課程での研究テーマは農業経営や農業経済がいい」とアルバイトをしていた専門学校の先生からアドバイスをいただき、色々な大学の教授とコンタクトを取りました。その中で、東北大学に私の研究テーマの指導をしていただけそうな先生がいらっしゃったので、宮城県にある東北大学大学院へ進学しました。

 私は博士課程の調査でベトナムの旧ラックズオン県という所を訪問したんですが、その日は旧ラックズオン県と友好都市の協定を結ぼうとしていた八千代町の視察団も訪れる日だったんです。私の調査先が日系企業だったんですが、そこの日本人社長が旧ラックズオン県の行政から「日本語ができる方がいたら手伝っていただけませんか」と頼まれて、私に白羽の矢が立ちました。
 視察団の滞在は3日間で、私はその期間サポートと通訳を務めることになりました。滞在が終わった後も、私は両地域の間の窓口の間に入って通訳・翻訳業務を担い、友好都市の締結式でも通訳をしました。

 そうして八千代町の行政と繋がりができて、昨年(2025年)の4月に地域おこし協力隊に就任しました。

――いわば偶然の出会い。縁があったんですね。

国際交流プロジェクト

――協力隊としての活動内容は国際交流プロジェクトということですが、具体的にはどのようなことをされるんですか。

 昨年は、交流のきっかけ作りとして主に町内でイベントを計画して実施してきました。
 例えば、八千代町の夏祭りに外国人向けの浴衣試着体験を設けて、浴衣を着てもらった上で盆踊りにも参加してもらうという日本の文化体験を行いました。逆に、10月にはベトナムの中秋節の体験会を実施して、11月の秋祭りにはベトナムの民族衣装のファッションショーや試着体験を行いました。
 昨年はベトナム以外の国籍の方とそれほどコンタクトが取れていなかったので、私の一番アプローチしやすいベトナムを主な題材にしました。これからは、町内に住んでいるインドネシアや中国国籍の方、他の国籍の方とも繋がって、また新たなイベントができたらと考えています。

 イベントの他には、私は基本的に役場に常駐しているので、外国人住民から行政手続きの相談を受けたり、各課の日本語書類をベトナム語に翻訳したりもしています。今後はさらに、外国人向けに防災訓練や交通ルール、ゴミ出しルールの学習会なども行いたいと考えています。

 協力隊の仕事は、上司にアドバイスをもらったり、住民の方に協力していただいたりしながらも、自分の考えに基づいて動けるのが楽しいです。

人口の約1割が外国人

――ちなみに、八千代町にはどのくらい外国人が住んでいるんですか。

 2025年の12月時点では、八千代町の全体の人口が約2万人で、外国人は約2千人です。割合で考えると1割なので、高い方です(茨城県全体の外国人人口率は3.5%)。
 国籍別でいうと1位がベトナム、2位はインドネシアです。農業の他、工場で技能実習や特定技能で働いている方が多いです。
 ただ、外国人が人口の1割も占めていることを、日本人住民の方は意外と知らないようです。交流する機会も少ないと思います。スーパーなどですれ違ってはいるはずなんですけどね。

――だからチャムさんが国際交流プロジェクトを任されているということですかね。

 その狙いはあるかもしれませんね。やはり、日本で育った日本人の立場で行う国際交流とは視点が違うと思うんです。私は日本に10年以上住んでいて、日本の生活習慣も理解していますが、外国人ならではの視点や考えも持っていると思うので。

気絶するような生活の経験

――チャムさんご自身は日本で10年以上暮らす中で、大変だったことはありますか。

 ずっと前、日本に来て3年目の頃が大変でした。当時は日本語学校に通いながら、大学受験の勉強もしていたんですが、生活のためにアルバイトも掛け持ちしていました。その内の清掃業の職場までは片道1時間半かかるので、朝4時には家を出る生活だったんです。朝ごはんを食べる間もなくて、コンビニで買ったものを仕事の休憩時間に急いで食べていました。そして午後は学校、夜はまた別のアルバイト…。そんな生活を数ヶ月続けていたら体力が落ちてしまって、何度か電車の中で気絶しそうになりました。電車に乗ってきた方が私の顔を見て「大丈夫ですか」と何度も声かけてくれたこともありました。当時は自覚がありませんでしたが、相当顔色が悪かったんでしょうね!

 おまけに、清掃業のアルバイトで2、3回遅刻してしまったんです。そこでは一緒に働いていた日本人の女性がいて、その方の旦那さんも同じ職場で働いていたんですが、旦那さんが入院して人手が足りなくなったので私が雇われたんです。その女性は最初の頃はすごく親切にしてくれていたんですが、私が遅刻するようになったのと、旦那さんが仕事に復帰できるようになったタイミングが重なって、急に厳しい態度を取られるようになりました。まるで人が変わってしまったようで。体調管理がしっかりできなかった自分は悪かったのですが、「周りには親切な日本人しかいない」と思っていた私には、すごくショックでした。結局、自分から「辞めさせてください」とお願いしました。

――ありそうな話ですね。急に掌を返されたんですね。

 はい。ただ、当時は勉強とバイトで頭がいっぱいで、落ち込む時間さえなかったんです。それに、他の職場や学校ではすっごく温かく見守ってもらっていたので、それに比べたらもう何でもないことなんだって。

――人には恵まれ続けているんですね。

 そうです、どんな所でも。私は運が良かったってずっと思っています。精神面でいい生活ができています。

ホームシックにならないで暮らせる

――今の職場の人間関係はどうですか。

 係や上司の方と考え方の違いはあっても、落としどころを話し合いながら働けています。私が開催するイベントにも、毎回課長や公室長にまで出ていただいていますし、係の方も手伝ってくださいます。
 これはよく言っていることなんですが、そういった方々のいる職場じゃなかったら、私はここに来ていないかもしれません。本当に恵まれています。

――八千代町でも人に恵まれてよかったですね。総じて日本の生活はいいと思えますか。

 はい。とても住みやすいですし。
 海外に住んでいる人、特に女性だとホームシックになることがあると思うんですが、私はそれほどではないんですね。心の奥の方には寂しさがあるのかもしれませんが、色々な方が私のことを温かく見守りながら接してくださるので、それを充分に補えているのだと感じます。

――チャムさんの心掛けが美しいから、周りの方も助けてくれるのだと思います。素敵なお話をありがとうございます。

 私の話が誰かのためになれば嬉しいです。まず自分から行動することが大事だと思います。本当の努力なら必ず誰かしらが見てくれていると、私は信じます。

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