岡山県総社市が展開する多文化共生の取り組みは「総社モデル」と呼ばれ、全国の自治体や関係機関から高く評価されています。
その歩みは、2008年のリーマンショックの時期に遡ります。雇用環境が悪化し、生活に困窮する外国人住民をサポートするため、市は独自の相談窓口を設置しました。さらに、彼らが日本で生活していくための基盤として、日本語教室を市の独自予算で継続して運営してきました。
かつての南米から東南アジアへと住民の国籍構成が移り変わる中で、総社市はどのようにそれぞれの文化やルーツに向き合い、顔の見える関係を築いてきたのでしょうか。
総社市あたたか市民部 人権・まちづくり課 国際・交流推進係の河合さん、総社市の多文化共生の最前線を長年支え続けてきたブラジル出身の譚さん、そして次世代の架け橋として着任した17歳のベトナム出身・コアさんの3人にお話を伺いました。
「総社モデル」の原点:リーマンショック
――総社市の多文化共生の取り組みは「総社モデル」として全国的に非常に有名ですが、まずはその成り立ち、歴史について伺いたいと思います。そもそも、総社市で外国籍住民の方が増え始めたのはなぜなのでしょうか?
譚さん:最初はやっぱり出稼ぎですね。岡山県には三菱関係の大きな自動車工場があります。初期の頃は南米、特にブラジルからたくさんの人が入ってきました。でも、大きな転機になったのは平成20年(2008年)のリーマンショックでした。
――世界を巻き込んだ経済危機ですね。日本でも失業者が急激に増えました。
譚さん:はい、出稼ぎの人たちの仕事もどんどん減っていきました。ハローワークには緊急雇用の制度もありましたが、日本語が十分に話せない彼らにとって、自分たちで手続きをするのは本当に大変なことでした。帰国された方もたくさんいましたが、日本に残ることを選んだ方もいました。でも、仕事もない、住むところもどうなるか分からない。そんな、どん底のような状況がありました。
――残された方々は、本当に切羽詰まっておられたでしょうね。
譚さん:大変でした。それまで何十年も派遣会社にお世話になって、家族を連れて安定して暮らしていた人たちが、いきなり全てを失うんです。アパートの契約も派遣会社経由だったりしますから、住む場所もゼロから探さないといけない。でも、当時の岡山県には外国人の住民が気軽に相談できる窓口がどこにあるのか、誰も知らなかったんです。だからこそ、総社市がいち早く相談窓口を立ち上げた意味は大きかったんですよ。
河合さん:譚さんは、その窓口が開設された平成21年からずっと市で働いてくれているんです。総社モデルの生き字引ですね。
――譚さんはその頃からお勤めなんですね。当時の相談内容はどのようなものが多かったのでしょうか?
譚さん:まずは生活そのものですね。雇用保険の存在は知っていても、どうやって申請すればいいのか分からない。採用面接に行きたくても履歴書の書き方が分からない。収入がガクンと下がって、それでも日本で生きていくために、施設の掃除や賃金の低い仕事でも一生懸命探しました。私たちはそんな方々の横に付いて、ひとつひとつの手続きをサポートしていったんです。

途切れることのない日本語教育:大学との連携と独自予算
――生活支援と並行して重要だったのが「日本語教育」ですよね。総社市の日本語教室は非常に歴史があると伺いました。
河合さん:はい。平成22年から国の補助金を活用してスタートしました。「最低限、生活に困らない程度の日本語を身につけてもらおう」というところからです。
――多くの自治体ではボランティアの方々の力に頼ることが多く、継続に苦労されている話も聞きますが、総社市の場合はいかがでしたか?
河合さん:そこには一人、非常に重要なキーマンがいらっしゃいます。岡山大学の中東准教授です。日本語教室の企画の時点から、中東先生にコーディネーターとして入っていただきました。先生の伝手で専門の講師を集めていただき、ボランティアではなく、有償の事業として継続してきたんです。
――最初から有償でプロを招く形だったのですね。それは画期的です。
河合さん:そうですね。平成22年から今まで、一度も途切れることなく続いています。最初は週2回、火曜日と日曜日に開催していました。火曜日は主に子育て中の主婦の方。勉強だけでなく、孤立しがちな彼女たちのリフレッシュや横のつながりを作る場所としても機能していました。日曜日は仕事がお休みの夫婦や家族連れですね。
譚さん:しかも、この教室は無料で受けられるんですよ。当時は日本語教室が無料で受けられるなんて、なかなかありませんでしたから。
――無料というのは、学習者にとって本当にありがたいですね。しかもそれが現在は独自予算で続いている。
河合さん:はい。最初の9年間は国の補助がありましたが、その後は市の独自予算、いわゆる一般財源で運営しています。これはひとえに、片岡聡一市長の「外国籍住民は総社市民であり、彼らに寄り添うのは当然だ」という強い姿勢があるからです。リーマンショック後、すぐに譚さんのような通訳を雇い、翌年には人権・まちづくり課を創設して体制を整えた。このスピード感こそが総社市の特徴だと思います。

多文化共生のキーパーソン:譚さん
――首長が「市民として寄り添う」と明言しているのは、住民にとって大きな安心感に繋がりますね。
河合さん:譚さんの存在がとても大きいです。総社市外まで広がるブラジル人コミュニティの代表的な存在でもありましたから、行政と住民の距離を一気に縮めてくれました。
今、譚さんが市役所に入って来てくれた頃とは状況が変わってきています。東南アジアの方が増えて、市内の外国籍住民の約半数がベトナムの方になっていますので。譚さんはブラジル出身なのでポルトガル語や英語が中心ですが、東南アジアの方になると、やっぱり言葉は全然違うし、宗教があったり考え方や文化も違ってきたりします。
譚さんはそこをちゃんと理解して、適応してくださっているんです。そうやって外国人のコミュニティにうまく入って付き合っていくというのは、当然、苦労があると思います。なかなかできないことで、本当に感謝の念しかないですね。私から言わせれば、譚さんは総社市のスーパーウルトラキーパーソンです。
譚さん:褒め過ぎです(笑)。
――譚さんはもう日本に来て長いと思いますが、ずっと総社市なんですか。
譚さん:私は日本に来てもう30年ぐらいですね。総社市に来る以前は、多くの南米の人たちと同じように、出稼ぎで日本に来て、工場とかゴルフ場の仕事をしていたんですけども。その後、派遣会社を通して通訳の仕事を始めたのと同時にリーマンショックが起きたんです。私を含めて出稼ぎの全員が仕事を失いました。
そこで私は仕事を探しながらボランティアで通訳を始めました。そのタイミングで、総社市で初めて外国人向けの相談窓口が作られることになったんです。
――総社市の多文化共生は譚さんと共にあるんですね。
変わりゆく国籍構成と「やさしい日本語」の浸透
――お話に出たように、外国籍住民の方々の国籍も変わってきているんですね。
河合さん:大きく変わりましたね。以前はブラジルなど南米系が中心でしたが、現在はベトナム、インドネシア、ミャンマーといった東南アジアの方々が急増しています。現在、市内の外国籍住民は約2200人ですが、そのうち約半数がベトナムの方です。
――国籍が変われば、文化も宗教も、言葉の壁の高さも変わりますよね。
譚さん:そうなんです。私はポルトガル語と英語はできますが、ベトナム語は分かりません。でも、私たちが大切にしているのは「やさしい日本語」です。33カ国もの国籍の方が住む今の総社市では、共通語としての日本語が欠かせません。
――やさしい日本語の普及にも、かなり前から力を入れていらっしゃるそうですね。
譚さん:窓口ではまずやさしい日本語で話す。それでもどうしても難しい場合にだけ、専門の通訳を入れます。また、市役所の職員向けにも毎年「やさしい日本語講座」を開いています。新人職員には必ず受講してもらうようにしているんですよ。
河合さん:実はこの4月から新庁舎になったのですが、窓口の配置も工夫しました。転入とか戸籍を担当するワンストップ課の窓口の並びに外国人相談専用窓口を設けたんです。外国籍の方が来庁されたら、まずはここで相談を受ける。そこから必要な課へ案内する体制を整えました。市民サービスの入り口を一本化したわけです。
――それは素晴らしいですね。外国籍の方が市役所の中で迷わずに済みます。
河合さん:日本一、外国籍住民に優しいまちを目指していますから。もちろん、ゴミ出しのルールなどの苦情がゼロというわけではありませんが、ヘイトスピーチのような極端な動きがこのまちにないのは、平成20年から地道に外国人がいる風景を当たり前のものとして積み重ねてきた結果かな、と感じています。

未来への希望:コアさん17歳
――さて、先ほどからお隣にいらっしゃるコアさんについても伺いたいと思います。コアさんはベトナムのご出身だそうですね。
コアさん:はい、コアです。ベトナムから来ました。
――どのようなお仕事をされているのですか?
コアさん:今は、ベトナムの方の通訳や、書類のベトナム語への翻訳をお手伝いしています。
河合さん:実はコアくん、まだ17歳なんです。昨年の10月から採用したのですが、これから総社市のベトナム対応のキーパーソンに育てていこうと思っているんです。
――17歳! ということは、まだ学生さんなのですか?
譚さん:そうです。日本に来てまだ1年くらいですね。自分で日本語を勉強して、日本語教室にも通って、本当に頑張り屋さんですよ。
コアさん:4月から、日本の高校の定時制に通うことになりました。受験も合格しました。
――おめでとうございます。 昼間は市役所で働き、夜は学校へ通うということですね。
河合さん:ええ。市としても学校生活を全力でバックアップします。普通の17歳が、いきなり異国の市役所で働き始めるなんて、右も左も分からなくて当然だと思うんです。市の業務って本当に種類が多くて複雑ですから。でも、コアくんはそれを真剣に一から学んでくれていて。自分が苦労して理解したからこそ、「ここが分かりにくいよね」と、同じ立場のベトナム人市民の方々に伝えられるんです。
――ご自身の苦労を、同胞の方へのサポートにそのまま活かしてらっしゃるんですね。
河合さん:そうなんです。言葉の壁がある中で、学校の勉強と行政の仕事を両立させるのは本当に大変なことだと思います。それでも前向きに頑張って、私たちの多文化共生の取り組みを最前線で支えてくれている。今後、総社市にとって間違いなく欠かせない存在になっていくと思います。彼がいてくれることで、私たち行政もすごく助けられているんです。
コアさん:市役所の仕事はたくさんあって大変ですが、一から勉強して、困っているベトナムの人たちに伝えられるようになりたいです。
――コアさんのような存在が、次世代の総社モデルを担っていくのですね。総社市の未来はこれからも明るそうです。

これからの展望:企業との連携と手作りの多文化共生
――最後に、今後の展望について伺わせてください。今年度以降に向けてどのような課題を感じていらっしゃいますか?
河合さん:現在の事業を継続していくのはもちろんですが、これからは企業との連携がさらに重要になると考えています。現在、市内の食品工場や自動車関連工場には多くの外国籍の方が働いていますが、企業と行政の連携はまだ十分とは言えない状態です。
育成就労制度への移行も控えていますし、日本語教育は引き続き大事になってきます。その部分での企業との連携をなんとかしたいと思っています。
譚さん:多文化共生は「これをやれば終わり」というものではありません。国籍が変われば課題も変わります。でも、行政と日本人住民、そして外国籍住民がお互いに顔の見える関係であり続ければ、どんな問題も解決できると信じています。
河合さん:よく他の自治体の方から「キーパーソンは誰ですか?」などと聞かれますが、私たちもずっと手探りで、手作りでやってきました。これからも立ち止まらずに、少しでも現状より良くなるように、進歩を続けていきたいですね。
――総社市行政の温かさの理由がよく分かりました。本日は素敵なお話をありがとうございました。

