地域と技能実習生、お互いの顔が見える関係を作りたい。東彼杵町地域おこし協力隊による手探りの試み。

 長崎県東彼杵町(ひがしそのぎちょう)で、地域おこし協力隊として多文化共生の推進に取り組む名和川淳さん。日本語教師として、町内の外国人技能実習生らに向けた日本語教室の運営や企業訪問型の語学指導を行っています。かつて群馬県で定住外国人の実態調査や外国人支援のNPO活動に携わってきた名和川さんに、東彼杵町での活動の現状や課題、今後の見通しについて伺いました。

目次

50代で始めた日本語教師と東彼杵町への移住

画像引用元:Map-It

――東彼杵町の地域おこし協力隊に就任する前は、どこで暮らしておられたのですか?

名和川さん:生まれは東京の三鷹市なのですが、ここへ来る直前は、群馬県の伊勢崎市に13年ほど住んでいました。それ以前も関東近辺で仕事をしていました。

――協力隊のお仕事内容が「多文化共生の基盤づくりと日本語教室の運営」ということですが、前職も日本語の先生だったのでしょうか?

名和川さん:技能実習生の入国後講習で日本語を教えたり、生活指導をしたりしていました。ただ、日本語教師としてはそれほど長くなくて、50代に入ってから資格を取りました。

――そうなんですね。ずっと関東にいらっしゃったのに、なぜ九州の、しかも東彼杵という小さな町に移られたのでしょうか?

名和川さん:それまでやっていた入国後講習の仕事は、実習生が入ってこない時期は仕事がなくなってしまい、なかなか安定しないこともありました。そんなときに日本語教師の求人サイトで、多文化共生の推進を掲げる東彼杵町の募集を見つけ、すごく興味を持ちました。私自身、どちらかというと外国人の生活支援の流れから日本語教師を始めたので、「この町の取り組みに、ぜひ関わっていきたい」と強く思ったのを覚えています。

東彼杵町は人口減少が進んでいて、高齢化率も40%間近です。担い手不足を補うために外国人の受け入れが欠かせない状況ですが、データを見ると、実際に外国人は毎年約10人ずつ着実に増えています。ここでなら、私が群馬で長年経験してきたことが活きるのではないかと思い、全く知らない町でしたが「やってみたい」と飛び込みました。

群馬で外国人が抱える課題に直面して

――群馬県時代は、どのような経緯で外国人と接点を持たれたのですか?

名和川さん:以前、派遣会社に勤めて日系南米人などの担当をしていたため、外国人を身近に感じる部分はありました。その派遣会社では、入社してすぐ研修として食品工場で6ヶ月間勤務したのですが、私が入った製造ラインは日本人が私を含めて2~3人で、周りはほとんど外国人という環境でした。
そこで一緒に働くうちに、「こういう人たちがいないと、もう日本の経済は回らないんだな」と強く実感しました。工場内の作業は表からは見えない場所ですから、それまではこんなに多くの外国人が日本で働いているとは思っていませんでした。

しかし、リーマンショックの影響を受けて仕事自体がなくなってしまい、やむを得ず会社を辞めることになりました。

――群馬県は外国籍の方が多いですよね。

名和川さん:本当に多いです。大泉町などは人口の約20%が外国籍の方ですから。
その後、群馬県で定住外国人の実態調査の仕事に関わりました。各国の人の生活面や教育面で困っていることを聞き取りながらアンケートを取る、コーディネーター的な役割です。そこで外国人が直面している大変な現実を目の当たりにして、「自分たちで何か助けないといけない」とメンバー同士で話し合い、NPO法人を立ち上げました。

――その当時の外国人の方々は、どのような問題を抱えていたのですか?

名和川さん:例えば、両親と子ども複数の外国人家族だと、両親が仕事に出てしまうので、上の子どもが下の子どもの面倒を見るために学校に行けなくなってしまうといったケースがありました。他にも、子どもが学校で言葉が通じず、馴染めなくて非行に走ってしまうなど、学校の問題が多かったですね。さらに、派遣労働の場合、仕事がなくなると引っ越さなければならず、精神的に不安定になる親御さんや子どもたちもたくさん見てきました。
支援といっても、当時の私は日本語を教える技術もありませんでした。やっぱりそういう技術を身につけないといけないと思い、資格を取得して日本語教師の仕事を始めました。

高齢化が進む東彼杵町。外国人労働者の現状と受け入れ

――そうしたご経験を持って東彼杵町に来られたということですが、こちらの外国人労働者の状況は群馬県と違いますか?大企業の工場があるわけではないですよね。

名和川さん:そうですね。群馬県のような大規模な工場はありません。高齢化が進んでいる地域ということで、当初は介護業界への就労者が多いのではないかと予想していました。
しかし実際に現場を見てみると、運送・仕分け等の倉庫業、地元の製造業や農業、さらにはリネンサプライ業にいたるまで、本当に幅広い分野で数多くの実習生が活躍しています。

――出身国の傾向はありますか?

名和川さん:一番多いのはミャンマーで、次にフィリピン、インドネシアの方が急激に増えてきています。群馬にいた当時は南米や日系の方が多かったので、その辺りは違いますね。

――企業城下町ではない小さな町で、しかも技能実習生の数もまだ他の自治体と比較して多いわけではないのに、行政が早いうちから日本語教室などの多文化共生に取り組んでいるのは先見の明がありますね。

名和川さん:そうですね。町には私が赴任する前から強い取り組みの意思があり、町が先を見据えていたからこそ、その「多文化共生の推進」を任務とした地域おこし協力隊の募集を見つけ、縁あって私が赴任することになりました。現在、長崎県全体で外国人が増え始めていますが、来年に「育成就労制度」への移行を控えており、日本語教育の必要性はこれまで以上に増していると感じます。

手探りで始めた日本語教室と、企業への働きかけ

――地域おこし協力隊として、どのように日本語教室を運営されているのですか?

名和川さん:着任年度は、東彼杵町、波佐見町、川棚町の3町合同で行っている交流型の教室で授業を受け持ちました。年に9回、文化体験や生活に必要な日本語の学習、そして交流を通じて地域の日本人との関係性を作っていくことが目的のものでした。
参加者が少なかったことから、実際のニーズを知りたいと思い、東彼杵町の総合会館でサロン型教室を実験的にスタートしたんです。シフト制の工場が多いため平日が集まりやすいのではないかと仮説を立て実施してみましたが、参加者が少なかったので、次に日曜日に変更してみました。すると、ある企業さんから声がかかり、インドネシアの実習生たちが来てくれるようになりました。話を聞くと「N4を取りたい」ということだったので、その目標に合わせ、現在は文法を教えつつ、実際の生活で日本人としっかり会話ができるようになることを意識した授業をしています。
また、交通手段がなく、勤務時間帯も遅いことから通えないという声があったため、企業へ訪問型の教室を試験的に行いたいと提案しました。「JLPT対策をしてほしい」と要望をいただき、7月の試験に向けて、仕事前の50分間で行う「週1回、全7回のプログラム」を試験的に実施することができました。

――企業に直接行くことで、教室運営に何か変化はありましたか?

和川さん:実習生たちとのコミュニケーションが取れるようになって、関係性が近くなりましたね。その後、同期の協力隊員が企画したイチゴ狩りのイベントにも誘ってみたら、結構集まってくれました。チラシを撒くだけではうまくいかなくて、やっぱり顔と顔を合わせて初めて関係が作れるのだと実感しました。
日本語教室には、企業の方から言われて来る実習生もいれば、「JLPTのN3を取りたい」と意欲的な実習生もいます。最初は勉強をしようか迷っている実習生も、実際に教室に参加して打ち解けると、「頑張って勉強しよう」という姿勢に変わっていきますね。

地域との融和を目指す多文化共生と、若手がいないという課題

――地方の小さな町に単身でやってきて働くのは、外国人にとっては孤独で、地域に入り込みにくい部分も大きいと思います。地域との橋渡しはどうされていますか?

名和川さん:まずは、何でもいいから挨拶のできる関係を作っていきたいと考えています。それから、日本語教室でも地域のお祭りでもなんでもいいので、彼らに積極的に参加してもらう機会を作っていこうとしています。地域の皆さんに、彼らの「顔や名前、頑張っている姿」を知ってもらいたいからです。お互いに「相手が何を考えているか分からない」状態だと、どうしても心の壁ができてしまい、交流を生むのは難しくなってしまいます。個人の顔が見えてくるとお互いの見方も変わり、日常の暮らしの中で自然と声をかけ合えるような、小さな関係性が生まれていきます。枠組みを整えることも大切ですが、まずは彼らが「自分を気にかけてくれる人がいる」と安心できる居場所をつくり、お互いの心のハードルを少しずつ下げていくことが大切なのではないかと考えています。

――日本人の地域住民との交流はいかがですか?

名和川さん:そこがまさに課題で、若い日本人が町に少ないんです。年配の住民の皆さんはとても親身になって彼らを気にかけてくださるのでそこは安心しているのですが、この町には高校もないですし、技能実習生たちと年齢の近い20代の若者がほとんどいないため、彼らが同世代の友達を作れないという現状があります。また、人口自体が少ないこともあり、日本語教室を支えてくれるボランティア講師の確保が、今後の大きな課題となっています。今年度は、この課題をクリアするために、町の内外を問わず、様々な方々と連携を取りながら、新しい体制を作っていけたらと考えています。

既存のイベントへの参加と、地元住民との自然な交流づくり

――地域に若い人がいない中で、交流の機会をどのように作っているのですか?

名和川さん:新しく交流イベントを開催というよりも、の人たちの輪に自然と溶け込めるよう、地域に昔からある既存のイベントに彼らも一緒に参加してもらう工夫をしています。例えば、5月には「そのぎ茶市」というお茶のイベントがあり、ステージでミャンマーの皆さんにダンスを披露してもらいました。また、8月の当町の着物店が主催する「きものファッションショー」にも外国人住民の枠をいただくことができたので、外国人住民の方に声をかけ、参加してもらうことが決まっています。

――もともと町にあるものに参加させてもらうというのはいいですね。

名和川さん:ええ。彼女たちの民族舞踊は結構好評で、実行委員の方からも「また出てほしい」と言っていただけましたし、本人たちもまた出たいと喜んでいました。お互いにとって、とても前向きな一歩になったと実感しています。最近はニュースなどで外国人の犯罪が取り上げられることも増え、地域の中に不安を感じる方も多いかもしれません。だからこそ、地域のイベントに積極的に参加してもらうことで、「言葉は違えど、私たちと同じ普通の若者なんだな」と暖かく受け止めてもらえれば、お互いの距離が近くなって、より話しやすくなると思っています。

――他にはどのような工夫をされていますか?

名和川さん:ここに暮らす外国人の方々が、もっと地域に溶け込めるようなきっかけ作りをしています。地元の特産物を作ったりご商売をやられたりして活躍している30代、40代の方に、講師として来てもらっているんです。
たとえば父の日の前には、千綿駅の中で花屋さんを経営している方に講師をお願いして、みんなで花束を作りました。自転車が主な交通手段である彼らにとって、遠出をするときは駅も使います。そこで顔見知りになれば、駅に行った時に話しやすくなりますよね。みなさん意外と楽しんでくれました。
また、社会福祉協議会からお話をいただき、地元の小中学生たちと地域に住む外国人とで一緒に料理を作ったりゲームをしたりする企画も、進めているところです。これからもこうした活動を通じて、つながりを広げていきたいです。

東彼杵町の茶畑

任期はあと2年。自走への道

――名和川さんご自身は、東彼杵町での生活に馴染めましたか?

名和川さん:人はとても温かく、色々助けてくれますし、ご近所と挨拶を交わす関係もできています。ただ生活面では、お店が閉まる時間が早くて、大型施設や専門店がないので近隣の町まで買い物に行くことがほとんどです(笑)。
しかし、それらすべてが、この町特有のゆったりとした時間の流れや、心地よい空気感を作る大切な要素なのだと思います。美しい夕日を眺めながら1日をリセットし、穏やかに翌日を迎えられるこの環境が、これからもずっと続いてほしいですね。

そのためにも、これから外国の方を地域に迎えるにあたっては、この穏やかな空気感を守りながら、日本人と外国人が自然に協力し合える、誰もが安心して暮らせる多文化共生の土台を丁寧に整えていきたいと考えています。

――協力隊の任期は3年で、今2年目に入られたところですね。今後の展望を教えてください。

名和川さん:現在、技能実習生は単身者がほとんどですが、5〜10年後に彼らが「特定技能2号」を取得し、家族を連れてこの町に長く暮らす未来を想定すると、彼らが地域に馴染むための、生活に根ざした日本語教室の存在が欠かせなくなってきます。

この先、長期にわたってこの教室を維持していくためには、運営自体が「自立」していることが何よりも重要です。誰か一人の力や熱意に依存する形ではなく、地域の中で自然と引き継がれ、自走し続けられる「持続可能な仕組み」を、いまのうちから少しずつ整えていきたいと考えています。

――自走に向けての課題は何でしょうか。

名和川さん:全てをボランティアや行政予算に頼る運営は、継続性の面で現実的ではありません。また、民間ビジネスを圧迫しないよう、地域教室ならではの役割も考えていく必要があります。今後の自走化に向けては、就労目的の外国人を受け入れる企業側に、適正な対価を負担していただくことも一つの手だと考えています。来年の育成就労の施行により、企業や監理支援機関の動きが変わる可能性もあるため、残りの任期でその流れを見極めながら、持続可能な事業としての足がかりを見つけたいです。

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