桜島を望む鹿児島県垂水市には、農業や漁業、食品加工業を支える外国人材が多く暮らしています。
垂水市役所では総務省の地域おこし協力隊制度を利用し、外国人と地域を結ぶ橋渡し役として「多文化共生まちづくりコーディネーター」という職種を設置しています。同職には現在2名の移住者が就任しており、生活相談の受付やゴミ出しルールの周知の他、日本語教室やイベントの開催を行っています。
多文化共生まちづくりコーディネーターとしての具体的な仕事内容や、垂水市での外国人材の暮らしぶりについて、同職を務める髙櫻健一さんにお話を伺いました。
北海道を経て、鹿児島へ
――垂水市に来る以前のお仕事は、何をされていましたか。
鹿児島に来る前も北海道で3年間地域おこし協力隊として働いていました。当時の業務は羊飼いだったので、今とは全然違うことをしています。
――北から南への移動ですが、なぜまた垂水市に。
北海道に住んでみて寒さを実感しました。次は暖かいところに行きたいと思い、鹿児島県を選びました。キャンプをしたり、山登りをしたり外での活動が好きなので、北海道では外で体を動かせる期間が一年を通して少ないと思っていましたが、こちらでは外で活動できる時間が長くて充実した毎日を送っています。

技能実習生、特定技能の方が多い垂水市
――垂水市は、鹿児島県内ではどのような位置づけの町ですか。
鹿児島県の市の中では、人口が1番少ないです。場所は大隅半島で、桜島の付け根にあります。鹿児島市からすぐ近くなので、人口は減っていても、そこまで不便のない暮らしができる地域だと思います。
もう1つの特色が、外国人が日本人の人口に対して割合が高いところです。外国人のほとんどが技能実習生と特定技能の方々です。市内には大手の鶏肉加工会社がありまして、たくさんの外国人の方が働いています。その他にも、漁業や農業、介護の分野でも外国人の方が働いています。人口減少で人手不足になった分野を、外国の方にお願いしているという状況です。
――第1次産業の担い手となってくださっているわけですね。出身地はどこが多いんですか。
1番多いのがベトナムで、次がインドネシア、フィリピン、ミャンマー、他にもスリランカの方もいますね。ほとんどが東南アジアの方です。年代としては1番多いのが30代で、女性の方が6割から7割ぐらいです。
――来日される皆さんの日本語レベルはどうですか。
かなりまちまちですね。介護のお仕事をされている方々は日本語が上手ですが、母国で1ヶ月しか勉強せずに来日する方もいて、そういう方々は日本の日常生活でも苦労されている様子です。
活動はゴミ出しルールの周知から
――そのような背景があって、垂水市には多文化共生まちづくりコーディネーターという職種があるわけですね。
そうです。コーディネーターとしてのミッションはいくつかありますが、外国人との共生社会づくりに係る活動の一環としてゴミの出し方の問題があります。特に垂水市は、ゴミ出しのルールが日本人から見ても本当に複雑です。まず、分別が27種類あります。あと、市指定のゴミ袋がありますが、一つの袋にいくつかの品目が記載されていて、それにマルをつける、という感じで少し複雑です。垂水へ来たばかりの方が間違えるのも仕方がないと思う部分もあります。
――それは日本人でも、特に都会に住んでいた人はすごく馴染みにくいと思います。
そう思います。正直言うと、私自身も垂水へ来たばかりのとき、間違えて出したことがあります。今でもときどきゴミの出し方で戸惑うこともあります。そういう面もあるので、外国の方には「一緒にやってこうね」みたいな感じで声掛けしています。

――色々な分類の仕方を、その国の言語に直しているわけですか。
実はそういう表記は既に市が出していますが、かなり細かいので外国の方は戸惑うことが多々あるようです。ですから、ゴミ置き場に各国の言語と、やさしい日本語と、絵を載せて、「これはいいよ」「これはダメだよ」というように書いています。
それでもやはり分からないことがあると思うので、Facebookでグループを作って、「ゴミの出し方も含めてなんでも聞いてください」と伝えています。Facebookのグループで150名ぐらいの方に登録していただいています。ゴミの出し方や防災についてFacebookを通して伝えています。その他にもイベントの告知や、作業着や野菜のおすそ分けの連絡なども発信しています。垂水の日本人の方で優しい方々がたくさんいらっしゃいまして、「外国の方に服とか野菜を渡してほしい」との申し出がよくあり、その際にそのグループで「日本人の方にこういう物をもらいましたよ、誰か欲しい人はいませんか」と募ります。
――そのグループは、どうやって人数を増やしていったんですか。
日本語教室に来てくれる方々から、派生的に友達に紹介してもらうというのもあるし、スーパーで出会った方にも私は結構話しかけて、「こういうグループがあるからよかったら」という感じで募っています。
日本語教室の講師も
――日本語教室も開かれているとのことですが、その周知はどうされていますか。
市役所から企業の方々にお伝えしていただいて来てくれるケースもありますし、あとはFacebookのグループで周知をして、そこから派生して多くの方に伝わっています。
――髙櫻さん自身が先生を務めるんですか。
はい。もともと10年前、タイでタイ人に日本語を教えていました。その時のノウハウを使って教えていますが、やはり難しいと感じることもあります。漢字がとても得意な外国の方がいたり、または苦手な方もいたり、日本語のレベルにバラつきがある人たちを一つのクラスで教えるのは難しいと感じました。そこで、初心者レベルのN5から中級者のN3までのクラスを作りました。授業中もなるべく同じ国の人たちでペアワークをしないでもらうようにしています。フィリピンの人とインドネシアの人、ミャンマーの人とスリランカの人のようにして、授業内で日本語をたくさん話してもらえたらと思って取り組んでいます。

――鹿児島は方言が独特ですよね。外国の方には余計に難しいのではありませんか。
外国の方だけでなく、私も分からない時があります。垂水は鹿児島の中でもさらに特殊だと思います。例えば、話している相手を呼びかけるとき、「お前様(おまんさあ)」と言うときがあります。普通「お前」と言われたら、びっくりしますが、垂水のある地域では、その言い方は標準語の使い方と違い、親しみのある言い方になるらしいです。私も最初は結構びっくりしたので、外国の方からしても同じだと思います。外国の方にとっては「アニメなどでは『お前』って聞いたことがあるけど、実際には初めて聞いた」という感覚もあるかもしれません。
――外国人の日本語の習得は、市としても課題なんですか。
市では外国の方と地域の方の活発的な異文化交流イベントの開催や外国人の方が安心して垂水市に居住できる環境づくりのために日本語の習得が必要とのお考えがあるかと思います。
垂水市へ来られる外国人の方の中には垂水市で仕事をして、3年後に帰られる方が多数いらっしゃいます。日本語が必要かと言われれば、「できたらいいな」くらいの感覚の方もいると思います。垂水市内でもある程度、同郷の外国人同士のコミュニティができているので、寂しいこともあまりないだろうし、日本語が必要という人ばかりではないように思います。ただ、3年間、一緒に同じ地域で暮らしていく隣人として、言葉を通して皆で楽しく生活できたら、と個人的に思います。
日本に長くいようと思う方は日本語習得に意欲的です。特に、特定技能2号を取りたい人は日本語がどうしても必要なので、やる気があります。熱意がある方に教えるのは、私もやる気が出てくるので、やる気がある人向けの日本語上級のクラスもどんどん増やしていきたいです。
――髙櫻さんの活動は、ほかにどんなものがありますか。
みんなで畑で野菜作りをしたり、料理教室を行ったりしています。外国の方、日本の方が楽しめるようなイベントを地域の方と一緒に企画、運営しています。先日は垂水市の食生活改善推進委員の方々と一緒に、外国人へ向けた料理教室を開き、みんなで楽しみました。
――垂水市役所の方も、高櫻さんには仕事を任せてくれているんですか。
北海道での協力隊の時は羊の飼育だけをメインにやっていたのに比べ、今回は本当に色々な事をさせていただいています。大枠のミッションはありますが、それ以外のことでは自分がしてみたかった野菜作りやパン作りなどもさせていただいています。自分がしたいことを何かの形で地域の活性化や外国人と日本人との繋がりのある活動になるように常に念頭においています。





外国人と日本人との出会いをもっと増やしたい
――多文化共生まちづくりコーディネーターとして1年半活動してきて、これまでの手応えはどうですか。
生活環境や日本語の授業のニーズの変化が多く、自分で決めて行動できることが多いので、手応えはありますね。タイで日本語を教えていた時は、チームティーチングだったので、言われたことをやる感じでしたが、今は私一人で教えているので、生徒の反応に応じてカスタマイズすることもできます。ただ、それがうまくいかないとやはり落ち込むこともあります。毎日、そういう心の変化もあります。私は結構不器用なので、失敗もするし、外国人の方との付き合い方もまだまだ学ぶべきことが多いです。
――今後の活動の展望としてはどうですか。
傾向としてはレベルの高いクラスをやっていきたいというのはあります。レベルが高ければ高いほど、そこまで勉強してきたということなので、学生達のやる気を感じます。今、とある企業で日本語を教えています。皆さん、やる気があって、「自分も頑張らないと!」と学生達から元気をもらいます。このまま長く日本語を教えていければと思います。
また、私は垂水で暮らす中で色んなコミュニティにお世話になっていて、合唱団や、子どもたちに紙芝居を読むクラブに入っています。そういう日本人のコミュニティに外国人の方たちを巻き込んでいけたら面白いと考えています。
それから、今行っている料理教室では日本人から外国人へ郷土料理を教えてもらっていますが、今度は逆に垂水市在住のフィリピンの方に講師になってもらって、フィリピンの町の紹介などとともにフィリピン料理講座をしてみたいと思っています。
――素敵ですね。それで垂水市を気に入ってくれた外国人が「そのまま働き続けたい」となれば最高ですよね。
そう思います。自分自身も、垂水で素敵な人たちと出会えたおかげで楽しく暮らせているので、そういう出会いが外国人の方にもどんどん増えていったらいいなと思います。「母国に帰ろう」という気持ちを変えるのは難しいと思いますが、「こんな町に長く住みたい」と思ってもらえるように今後も頑張ります。


